いまさら思い返しても
どうにもならないことですが
大昔のことを少しだけ・・・
大学には行かずに専門学校で2年間、
真面目に勉強したつもりでしたが
実社会で働いてみて
専門学校の存在には意味がないことに
気づいた時は悲しくなりました。
ほぼ役に立つものはなく、
2年間の勉強は何だったのか・
実務で2年間働いた方が
何倍もの知識を得ることができるのです。
でも、田舎者の高卒男子を
いきなり受け入れてくれる会社があるはずもなく
やっぱり専門学校の存在は必要なのでしょう・・
サービス業で働くことが
天職のように思っていた時期もありました。
専門学校で教えられたことなんか
ひとつも役に立たず、
ひたすら見よう見まねで仕事を覚えて、
ちょっと上の立場になったら、
いつも自己流で判断して、
部下だけでなく、時には経営者に対しても
我流を押し付けていたように思います。
要は屁理屈を並べていただけのこと。
何一つ本格的に研鑽を積んだものはなく、
始めて会った客に声掛けしたら、
それだけで”優しい~”とか言われ、
なじみの客には”〇〇さんがいなかったら~”とおだてられ、
その気になって調子に乗っていた愚か者です。
そんな私が、キリスト教に出会って、
教会に集い始めた頃には、
まるで聖人君子にでもなったように
聖書にある「誠実、寛容、柔和」を実践しようと思っていました。
とりあえずは怒らないように日々努力していましたが
年月が経つとそんな気持ちも何処へやら・・
元々の怒りっぽい性格が
そう簡単には変わるはずがないわけで
とうとう退職寸前には経営者とも言い争う始末でした。
自分なりには社内をまとめていたつもりですが
今思うとただ役職という権力におぼれていただけのこと。
信頼してくれた部下は一人としていなかったのでは・
「聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」
ヤコブの手紙 1-19、20
いままでの私はこのみ言葉の逆を生きてきたようです。
人の意見は聞かず、好き勝手に話して、怒ってばかりで・・
このみ言葉を実践したいものです。
今からでは遅いかもしれないけれど
何しないでいるよりはマシなはず・