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先日久しぶりに従兄弟と電話する機会がありました。
数十年ぶりと言えばいいのですが、
年月を辿ってみると、ほぼ40年ぶりに話すことができたのです。
何度もすれ違いはあったけれど、
直接会うことはなかった従兄弟なのです。
若い頃は2人とも花の東京で働いていました。
私が6年早く上京し、いろいろと先輩面しながら一緒に遊んだものです。
当時はあのインベーダーゲーム絶頂期のときで、
喫茶店はどこも満員でコーヒーはどうでもよく、
ゲーム機につぎ込む100円玉を握りしめ、
席が空くのをみんなすごい形相で待っていたものです。
喫茶店の売り上げは凄かったと思います。
彼は定時で退社できる仕事だったので
いつも先に来て、ゲーム機のある席を確保していてくれました。
そして散々遊んで、西船橋の私のボロアパートに泊まって帰るのが
いつものことでした。
彼が住んでいたところより、
西船橋から会社に行くほうが便利だったようで、
ベッドと安物のこたつ、今にも壊れそうなテレビと小さな電気ストーブ、
中身は入っていないのになぜか通電している冷蔵庫、
そんな部屋なのに、何が良くていつも泊っていたのでしょう・
今日泊まらせて・と連絡があったので、ずっと待っていたのに、
無断キャンセルの時もありました。
特別に何かを用意して待っているわけではありませんが、
無連絡には困りました。
それはいつも彼をベッドに寝せて、私はこたつで眠ることにしていたので、
その日もそのつもりで待っていたのです。
結局、朝まで彼は現れず、私はこたつで寝たと記憶しています。
祖母が亡くなった時も、二人で羽田空港から飛行機に乗ったのですが
なんと乗ってキャンディが配られてから、
キャンセルになったこともありました。
全員機内から降ろされ、私たちは夜行に乗るために上野駅に向かい、
どうにか祖母の火葬中に到着することができました。
そんな彼でも久しぶりとは思えないようなリズムで
話すことができました。
人間嫌いな私ですので、電話かけるまで憂鬱で仕方がなかったのですが、
案ずる産むが易し・ですね。
電話を終えた後、心地よい感情になった自分がおかしいです。
懐かしい思い出ばかりの従兄弟ですが、
今思えば楽しい時を一緒に過ごさせてくれたようです。
そのうちに今度こそ会えると思っています。
《最後までお読みいただきありがとうございました》