2021/12/17

若い頃楽しませくれた従兄弟と話す











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先日久しぶりに従兄弟と電話する機会がありました。

数十年ぶりと言えばいいのですが、

年月を辿ってみると、ほぼ40年ぶりに話すことができたのです。

何度もすれ違いはあったけれど、

直接会うことはなかった従兄弟なのです。


若い頃は2人とも花の東京で働いていました。

私が6年早く上京し、いろいろと先輩面しながら一緒に遊んだものです。

当時はあのインベーダーゲーム絶頂期のときで、

喫茶店はどこも満員でコーヒーはどうでもよく、

ゲーム機につぎ込む100円玉を握りしめ、

席が空くのをみんなすごい形相で待っていたものです。

喫茶店の売り上げは凄かったと思います。


彼は定時で退社できる仕事だったので

いつも先に来て、ゲーム機のある席を確保していてくれました。

そして散々遊んで、西船橋の私のボロアパートに泊まって帰るのが

いつものことでした。


彼が住んでいたところより、

西船橋から会社に行くほうが便利だったようで、

ベッドと安物のこたつ、今にも壊れそうなテレビと小さな電気ストーブ、

中身は入っていないのになぜか通電している冷蔵庫、

そんな部屋なのに、何が良くていつも泊っていたのでしょう・


今日泊まらせて・と連絡があったので、ずっと待っていたのに、

無断キャンセルの時もありました。

特別に何かを用意して待っているわけではありませんが、

無連絡には困りました。

それはいつも彼をベッドに寝せて、私はこたつで眠ることにしていたので、

その日もそのつもりで待っていたのです。

結局、朝まで彼は現れず、私はこたつで寝たと記憶しています。


祖母が亡くなった時も、二人で羽田空港から飛行機に乗ったのですが

なんと乗ってキャンディが配られてから、

キャンセルになったこともありました。

全員機内から降ろされ、私たちは夜行に乗るために上野駅に向かい、

どうにか祖母の火葬中に到着することができました。


そんな彼でも久しぶりとは思えないようなリズムで

話すことができました。

人間嫌いな私ですので、電話かけるまで憂鬱で仕方がなかったのですが、

案ずる産むが易し・ですね。

電話を終えた後、心地よい感情になった自分がおかしいです。


懐かしい思い出ばかりの従兄弟ですが、

今思えば楽しい時を一緒に過ごさせてくれたようです。

そのうちに今度こそ会えると思っています。



《最後までお読みいただきありがとうございました

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